23年前、あの日のチャリダーの話。前編
- 2016/12/27
こんばんは、tada no Chicken です。
今夜は、スマップのCDデビュー25周年、結成28周年のラスト・ナイトでしたね。
スマップファンに限らず、スマップの解散は、驚きであり、そして感慨深いものがあります。
ただのアイドルでは収まらない彼らの影響力は、すごかったと素直に思います。
スマスマの最終回をちらっと見たら、この20数年のことが走馬灯の様に流れてきましたわ。
そんな今夜は、
今から23年前にオーストラリア大陸で、出会った二人のサイクリストのことをちょっと思い出しました。
当時、わたしは、23歳で大学を出てから、
アルバイトで貯めたわずかな金を握りしめて、
ワーキングホリデー・ビザ
(注:1年間滞在出来、通学とアルバイトが出来るビザ。当時25歳まで取得可能でした。)を取得し、
片道だけの航空券とバックパックひとつ、そして若さと夢という根拠も何も無い思い込みを背負い、
その日の宿も決めずにオーストラリア大陸のシドニーへ渡りました。
平成5年のことです。
地球のへそと言われるエアーズロックへ行ってみたかったのです。

そこで、フォードのコルチナという超おんぼろのステーションワゴンをA$1800で手に入れて、
オーストラリア一周の旅を始めたのでした。
当時、オーストラリアは日本人にとても人気の観光地で、
たくさんの日本人が新婚旅行や観光、そして様々な夢を持って、この地へ渡って来てました。
わたしはキャンプ場、安宿のバックパッカーやユースホステルに滞在することが多かったので、
とくに、同じワーキングホリデー・ビザを持った25歳までの貧乏旅行をしている若者達と会うことが多かったです。
本当にたくさんの色んな人間に会いました。
会社を辞めて来た者、日本に絶望して来た者、大学を留年した者、何とか海外で生活したくて永住権を取るために来た者、大学の助教授、英語の勉強に来た者、自衛隊を除隊した者、空手家、世界一周中の者、ホモのライダー!等々
良くも悪くも一癖二癖あるアウトロー寄りな変わった人間が多かったです。
もちろん、様々な国の旅人、そして、たくさんの陽気なオージー(オーストラリア人の愛称)達にも。
当時、オーストラリアを周る方法として大きく分けると二つの選択肢がありました。
まず、
①直接目的地へ移動する点タイプの旅 :飛行機、そして、列車、夜行バス(バスダー)。
そして、
②自ら砂漠のハイウエイを自走する線タイプの旅 :自動車(カーダー)、ヒッチハイク(ヒッチハイカー)、バイク(ライダー)、自転車(チャリダー)、リヤカー、徒歩(トホダー)、、、ラクダ(ラクダー、マジにいた)等
そんな選択肢の中、わたしはこの時、②の線の旅:自動車を選びました。(6年後にもう一度、渡豪しバイクで一周します。)
その旅は1年にわたる旅となりました。
そんな旅の中で、忘れられない旅人の中に、
2人のチャリダー(オーストラリアで、日本人は自転車で旅する人のことをこう呼ぶ)がいました。
一人は、明治大学の男子学生。 (Japan Adventure Cyclist Club、JACC)所属
JACCに所属してるくらいなので生粋の自転車乗りですね。ちょっと暑苦しい自転車野郎といった感じ。
もう一人は、元ヤンキーで500万の借金返済女性。
この方の経歴がとても尖がってて面白いです。
この人の話をしたら一晩はかかるので、今回は簡単に説明します。極貧の幼少期を過ごして、勉強が大好きだったけれど、もれなくグレてヤンキーの道に、15歳で家を出て、やくざの恋人になる。その後キャバレーで働く、そこで、車で暴走行為中、パトカーから逃亡中に通りすがりのベンツを大破させて、500万の借金を負う。お坊さんに惚れられ恋仲になり、その後まじめに働き借金500万の返済に成功する。そして、晴れて自由の身になりオーストラリアへ渡ってくる。何か月かシドニーに滞在したが、ある口喧嘩から始まった売り言葉に買い言葉で、金も無かったから、女一人で自転車でオーストラリアを横断すると宣言することになる。とても肝の座った豪快でいて真っ直ぐな心の優しい女性。
うーん…(−_−;)やはり、うまく表現できんなこの人のことは、、、、まあ、はしょると、こんな感じの女性チャリダーさんです。
そんな二人のチャリダー、ちょうど走る方向(大陸を東から西へと)が一緒だったため、いろんなところで会いました。
まず、メルボルンで出会いました。
そして、アデレード、セデューナ、パースで一緒になりました。
自転車の旅の速度と車の旅の速度が大して変わらないのは、
わたしがゆっくりと寄り道だらけの旅をしていたからです。
明治大学在学中の学生さんは、当時は分からなかったですが、かなり細いタイヤだったと記憶しているので、たぶんスポルティーフかランドナーだと思います。
こんな感じ、日本の正統派スタイルですね。

元ヤン女性は、MTBに普通の街乗りタイヤを履かせた、今で言うとジャイアントのグレートジャーニーの様な自転車でした。
こんな感じ

その時のエピソードの一つで、こんなことがありました。
ある時、明治大学の男性が、
「自分、坂が好きなんですよねえ。」
と言ったのです。
それを聞いたとき、若かったわたしは、漫画「シャカリキ」を思い出して、漫画の受け売りかっ!?
「マジかい?それは無いわ!?上り坂がじゃなくて下り坂のことだよねぇ?」
と笑い交じりに聞き返しました。すると、
「上り坂が好きなんですよ。」と再び言いました。
その頃のわたしは、オートバイと車が大好きで、
だから、自分の中には、オーストラリアを旅するならオートバイか車という選択肢しか持っていませんでした。
自転車でオーストラリアを周るなんて、ただの苦行にしか思えなかったからです。
その苦行の中でもさらに辛い坂が好きだと!?
100歩譲っても本音に聞こえなかったのです。
そして、彼の気持ちを分かろうとも、判かりたいとも思ってなかったのです。
ただ、すごいと言われることをやってみたいだけなんだろう?自己満足に浸りたいだけだろう?
俺はすごいことやっているんだオーラみたいなものが見えて、気に入らなかったのです。
でも、わたしはチャリダーが嫌いなわけではありませんでした。むしろ尊敬していたのです。
今まで会ってきたほとんどのサイクリストや徒歩の旅人は、
自分の始めてしまったことのバカさ加減に泣きながら、後悔もしながら、
それでも時に大笑いしながら元気に自分の力だけで前に進んで旅していたから。
とくに、「坂なんか大嫌いだよ~。なんで始めちゃったんだろうね?!痛くてあそこが使い物にならなくなるかと思ったよ!」と
言いながらも、ケタケタ笑って、楽しんで走っていた元ヤン女性チャリダーが大好きで、尊敬していました。
とにかく面白い人でした。思ったこと、感じたことをズバズバ気持ち良く言う人でした。
そんな人達に比べて、
「自分、坂が好きなんです。」と言うサイクリストの言葉の意味が分からなかったし、
なーんか、偽善ぽく聞こえてちょっとむかついたんですよねぇ。 (* ̄_ ̄)・・・ィラ
次回に続く
ブログランキングに参加しています。
ついでにポチっとしていただけると順位があがりうれしいです。
生きる勇気になります。(笑)

にほんブログ村
今夜は、スマップのCDデビュー25周年、結成28周年のラスト・ナイトでしたね。
スマップファンに限らず、スマップの解散は、驚きであり、そして感慨深いものがあります。
ただのアイドルでは収まらない彼らの影響力は、すごかったと素直に思います。
スマスマの最終回をちらっと見たら、この20数年のことが走馬灯の様に流れてきましたわ。
そんな今夜は、
今から23年前にオーストラリア大陸で、出会った二人のサイクリストのことをちょっと思い出しました。
当時、わたしは、23歳で大学を出てから、
アルバイトで貯めたわずかな金を握りしめて、
ワーキングホリデー・ビザ
(注:1年間滞在出来、通学とアルバイトが出来るビザ。当時25歳まで取得可能でした。)を取得し、
片道だけの航空券とバックパックひとつ、そして若さと夢という根拠も何も無い思い込みを背負い、
その日の宿も決めずにオーストラリア大陸のシドニーへ渡りました。
平成5年のことです。
地球のへそと言われるエアーズロックへ行ってみたかったのです。

そこで、フォードのコルチナという超おんぼろのステーションワゴンをA$1800で手に入れて、
オーストラリア一周の旅を始めたのでした。
当時、オーストラリアは日本人にとても人気の観光地で、
たくさんの日本人が新婚旅行や観光、そして様々な夢を持って、この地へ渡って来てました。
わたしはキャンプ場、安宿のバックパッカーやユースホステルに滞在することが多かったので、
とくに、同じワーキングホリデー・ビザを持った25歳までの貧乏旅行をしている若者達と会うことが多かったです。
本当にたくさんの色んな人間に会いました。
会社を辞めて来た者、日本に絶望して来た者、大学を留年した者、何とか海外で生活したくて永住権を取るために来た者、大学の助教授、英語の勉強に来た者、自衛隊を除隊した者、空手家、世界一周中の者、ホモのライダー!等々
良くも悪くも一癖二癖あるアウトロー寄りな変わった人間が多かったです。
もちろん、様々な国の旅人、そして、たくさんの陽気なオージー(オーストラリア人の愛称)達にも。
当時、オーストラリアを周る方法として大きく分けると二つの選択肢がありました。
まず、
①直接目的地へ移動する点タイプの旅 :飛行機、そして、列車、夜行バス(バスダー)。
そして、
②自ら砂漠のハイウエイを自走する線タイプの旅 :自動車(カーダー)、ヒッチハイク(ヒッチハイカー)、バイク(ライダー)、自転車(チャリダー)、リヤカー、徒歩(トホダー)、、、ラクダ(ラクダー、マジにいた)等
そんな選択肢の中、わたしはこの時、②の線の旅:自動車を選びました。(6年後にもう一度、渡豪しバイクで一周します。)
その旅は1年にわたる旅となりました。
そんな旅の中で、忘れられない旅人の中に、
2人のチャリダー(オーストラリアで、日本人は自転車で旅する人のことをこう呼ぶ)がいました。
一人は、明治大学の男子学生。 (Japan Adventure Cyclist Club、JACC)所属
JACCに所属してるくらいなので生粋の自転車乗りですね。ちょっと暑苦しい自転車野郎といった感じ。
もう一人は、元ヤンキーで500万の借金返済女性。
この方の経歴がとても尖がってて面白いです。
この人の話をしたら一晩はかかるので、今回は簡単に説明します。極貧の幼少期を過ごして、勉強が大好きだったけれど、もれなくグレてヤンキーの道に、15歳で家を出て、やくざの恋人になる。その後キャバレーで働く、そこで、車で暴走行為中、パトカーから逃亡中に通りすがりのベンツを大破させて、500万の借金を負う。お坊さんに惚れられ恋仲になり、その後まじめに働き借金500万の返済に成功する。そして、晴れて自由の身になりオーストラリアへ渡ってくる。何か月かシドニーに滞在したが、ある口喧嘩から始まった売り言葉に買い言葉で、金も無かったから、女一人で自転車でオーストラリアを横断すると宣言することになる。とても肝の座った豪快でいて真っ直ぐな心の優しい女性。
うーん…(−_−;)やはり、うまく表現できんなこの人のことは、、、、まあ、はしょると、こんな感じの女性チャリダーさんです。
そんな二人のチャリダー、ちょうど走る方向(大陸を東から西へと)が一緒だったため、いろんなところで会いました。
まず、メルボルンで出会いました。
そして、アデレード、セデューナ、パースで一緒になりました。
自転車の旅の速度と車の旅の速度が大して変わらないのは、
わたしがゆっくりと寄り道だらけの旅をしていたからです。
明治大学在学中の学生さんは、当時は分からなかったですが、かなり細いタイヤだったと記憶しているので、たぶんスポルティーフかランドナーだと思います。
こんな感じ、日本の正統派スタイルですね。

元ヤン女性は、MTBに普通の街乗りタイヤを履かせた、今で言うとジャイアントのグレートジャーニーの様な自転車でした。
こんな感じ

その時のエピソードの一つで、こんなことがありました。
ある時、明治大学の男性が、
「自分、坂が好きなんですよねえ。」
と言ったのです。
それを聞いたとき、若かったわたしは、漫画「シャカリキ」を思い出して、漫画の受け売りかっ!?
「マジかい?それは無いわ!?上り坂がじゃなくて下り坂のことだよねぇ?」
と笑い交じりに聞き返しました。すると、
「上り坂が好きなんですよ。」と再び言いました。
その頃のわたしは、オートバイと車が大好きで、
だから、自分の中には、オーストラリアを旅するならオートバイか車という選択肢しか持っていませんでした。
自転車でオーストラリアを周るなんて、ただの苦行にしか思えなかったからです。
その苦行の中でもさらに辛い坂が好きだと!?
100歩譲っても本音に聞こえなかったのです。
そして、彼の気持ちを分かろうとも、判かりたいとも思ってなかったのです。
ただ、すごいと言われることをやってみたいだけなんだろう?自己満足に浸りたいだけだろう?
俺はすごいことやっているんだオーラみたいなものが見えて、気に入らなかったのです。
でも、わたしはチャリダーが嫌いなわけではありませんでした。むしろ尊敬していたのです。
今まで会ってきたほとんどのサイクリストや徒歩の旅人は、
自分の始めてしまったことのバカさ加減に泣きながら、後悔もしながら、
それでも時に大笑いしながら元気に自分の力だけで前に進んで旅していたから。
とくに、「坂なんか大嫌いだよ~。なんで始めちゃったんだろうね?!痛くてあそこが使い物にならなくなるかと思ったよ!」と
言いながらも、ケタケタ笑って、楽しんで走っていた元ヤン女性チャリダーが大好きで、尊敬していました。
とにかく面白い人でした。思ったこと、感じたことをズバズバ気持ち良く言う人でした。
そんな人達に比べて、
「自分、坂が好きなんです。」と言うサイクリストの言葉の意味が分からなかったし、
なーんか、偽善ぽく聞こえてちょっとむかついたんですよねぇ。 (* ̄_ ̄)・・・ィラ
次回に続く
ブログランキングに参加しています。
ついでにポチっとしていただけると順位があがりうれしいです。
生きる勇気になります。(笑)

にほんブログ村