20170724-(5).jpg 23年前、あの日のチャリダーの話。後編 - 昭和40年代男のつぶやき
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23年前、あの日のチャリダーの話。後編

こんばんは、tada no Chicken です。

今日のつぶやきは、「23年前に出会ったチャリダーの話。後編」です。

では、つづきです。

23年前のわたしには、明治大学の学生さんが言った
「自分、坂が好きなんです。」というサイクリストの言葉の意味が分からなくて、漫画シャカリキの受け売りか何かと思い、
なーんか、上から目線で、偽善ぽく聞こえてちょっとむかついたんですよねぇ。 (* ̄_ ̄)・・・ィラ

そして、わたしは、「マジか?それは無いわーwww、、、」と笑い飛ばしました。


オーストラリアを旅する手段の中で、

バスは車を、車はバイクを、バイクは自転車を、自転車は徒歩を尊敬する変なヒエラルキーみたいなものが、
当時の旅人の中には、確かにありました。

でも、わたしは、それには、凄く抵抗がありました。

なぜなら、みんな自分の意志で選んだ旅の手段であって、誰かに強制されているわけではなかったからです。
スポンサーがついていて仕事としてやっているなら別ですが、

みんな自分の夢を実現しようと、好きな手段を選んで実行しているだけなのです。
そこで、自慢したり、他人の手段を批判したり、羨ましがったり、バカにしたりするのはいかがなものかと、、、、

自分で選んだ方法をやけに自慢したり、自分は正しくて特別なんだとアピールする旅人が、本当に鼻について気に入らなかったです。

わたしは、選んだ方法だけで旅の善し悪しが決まってしまう訳がない!
自分で選んだ方法で全力で旅すればいいだけのことと思ったのです。


オセアニアは世界一周旅人バックパッカーの間では、当時たしか、こう言われてました。


「食のアジア、金の北米、女の南米、歴史のヨーロッパ、耐えてアフリカ、何も無いのがオセアニア。」

※オセアニアとはオーストラリア大陸、ニュージーランドを含むポリネシア、ニューギニアを含むメラネシア、そしてミクロネシア全体を指す。

そうなんです。ホントに何も無いと言えば何も無いと言えなくもないです。、、、、、赤い砂漠が延々と続く道。変わらぬ景色。

でも、だからこそ自分が試されるのだと思います。
そこで何が出来るのか?
お前は何者だと問われるのです。

特に、バイクや車、自転車、陸路を行く旅は日本のそれとは気温、道路事情、その距離の長さが段違いで、、
ある程度の修理の知識や経験や、道具、装備が無ければ、なかなか一周を成功させるのは難しかったです。

そして、オーストラリアでは、ガソリンのことをぺトロールというのですが、命の水とも呼ばれています。
砂漠でガス欠したら、終わりだからです。映画マッドマックスの生まれた国ですからねえ(笑)
そのあたりは想像つくでしょうか?
メインのハイウェイでも、無給油区間が300km以上あることもありましたし、
内陸のストックルートに至っては無給油区間700kmとかもありましたから。

何もないからこそ、自分からアクションを起こさないといけないのです。
自分で出来ることを増やすこと、人と良いコミュニケーションを取ることが大切なのです。
自分で自分の旅を積み上げて行くのです。ガイドさんはいないのです。
ストックルート
アクションからしか何も生まれない
出会いは、小さな奇跡です。「G’day mate!」、あいさつと笑顔はその奇跡へのファーストコンタクトです。
砂漠でただ黙って立ち止まっていたら、間違いなく死がやってくるだけです。
アウトバック、、、、恐るべき空白(オーストラリアの内陸部に広がる、砂漠を中心とする広大な人口希薄地帯を指す)

わたしは、何カ月もかけて旅して、

途中いくつかのトラブルに見舞われました。そして、たくさんの人達に救われました。
一番ひどいトラブルは、ハンドルの軸部分を岩に打ち付けてしまったときでした。

ハンドルが左右にほとんど切れなくなり、何度も切り返しを繰り返して、一晩かけてそのルートから主要ハイウェイまで何とか脱出して、朝まで助けを待ちました。

その時、助けてくれた人は、自分の用事をキャンセルして、半日もかけて助けてくれました。
その後自動車の修理工場とのやり取りや、その間の安全なキャンプ場の紹介まで、してくれたのです。
そして、お礼も受け取らずに、
「もし、今度同じように困っている人がいたら助けてやってくれ。」
とだけ言って早々に行ってしまいました。 カッケ~わ (TωT)ウルウル

そうかと思えば、こんなこともありました。
別の町で修理を頼んだ時は、いい加減な自動車修理工場で、
後でわかったのですが、修理も点検も部品交換もしていないのに金をとられたりしました。
自分の見る目がない、修理の知識のないのは自分の責任でもありますね。 (T ^ T)

ガソリンタンクに穴が開き石鹸とガムテープで応急処置をしてダーウィンまで走り、
ガソリンタンクを解体屋から買ってた物が不良品で、2つも交換したり、
様々な大小のトラブルを抱えながらも、なんとか、アウトバックを走り抜け、

ようやく長年夢見たエアーズロックにたどり着きました。

ウルル_03


そして、確かにエアーズロックはありました。

赤く夕日に染まった超巨大な一枚岩。



そう、エアーズロックはそこにありました。
7千万年以上も前から、あると言われています。


その6年後バイクで訪れた時もそこにありました。
今もあるでしょう。
そして多分この先もずっとあるのでしょう。何千万年と、、、、


その悠久の存在感がズドンと下っ腹に来ました。



しかし、なにか、
無理に感動しなければいけない様な気がしてしまって、
ここで感動しなければ、今までの旅がつまらないものになってしまう様な気がして

震える体を押さえ、一呼吸して、わたしは逆に冷静になりました。


「ただのでっけー石ころだよなあ」ってつぶやいてみました。


そしたら、夢が終わってしまうという恐怖に似たものから解放され、気持ちがふわっと軽くなって笑っていました。

そして、浮かんでくるのは今までの道のりや出会った人達であって、
そのゴールに何かがあればよかったんだと思いました。
べつに、エアーズロックでなくてもよかったのかもしれません、、、、、

そこへどう行くか、どんな経験をしてたどり着いたのかで、見える景色は変わるんですね。

人間は感情の生き物です。そして、感情というフィルターを通してしか物を見ることができないのです。
大きな砂漠に突然現れた、ただのでっかい不思議な石ころ、神々しく見える。でも一個の石ころなんだよな。


なんかすごい衝撃でも走るのか、何か閃くものがあるのか、何か語り掛けてくるのだろうかと思っていましたが、


わかったことは、こんなところに、とんでもなくデカい岩がポツンとあるという妙な事実とその存在感でした。
アボリジニ(原住民)の神様(ご神体)なので、不思議なパワースポット的なものは感じましたよ。存在感半端ねぇ~です。


来る方法が違ったら、また違ったのだろうか?
いや、バイクで来た二度目の時も大して変わらなかったです。
ただ、変わらずそこにあっただけでした。

それが、在るということなんでしょうか?

しかし、か弱く震えながらも、自分も今ここに在ると確かに思えました。
地球のへそは、ある意味何も教えてくれませんでした。
ただ、そこにあったということだけを見せつけてきました。

それがわたしにとってのエアーズロックのリアルでした。



今から23年前の当時は、ネットカフェもフリーメールも携帯電話も、ほとんどありませんでしたから、
連絡を取り合うには、国際電話、宿の公衆電話、郵便局留めの手紙、安宿の掲示板、
あとは旅人に伝言を頼むしかなかったのです。
だから、当時でも旅人のネットワークというものが今とは違うアナログな状態でしっかりと存在していました。

決まったあの安宿へたどり着けばあの人たちに会えるかも、あの人たちの情報が手に入るかもと、
旅人同士の交流はとても重要な行動、アクションでした。
そこから生まれる新しい出会いや冒険は旅を非常に豊かなものにしてくれました。

しかし、6年後のバイクでの旅の時はすでにネットカフェが街にあり、フリーメールアドレスを持つことで連絡が取り合えましたから、
オーストラリアのほぼ中規模の町ならネットがつながり、何処にいても、他の旅人の情報や連絡が取れました。とても便利でしたが、この時、大陸の大きさは半分になってしまった感じを受けました。


おそらく今はモバイルの時代ですから、
あの当時に比べて、さらにオーストラリア大陸の大きさは小さなものになってしまったかもしれませんね。
世界はどんどん狭くなってきています。今の旅人はモバイル機器をもって、ネット配信しながら旅しているようです。


でも、②の線での旅を選び、陸路を行く人達は、世界の本当の広さを知っています。
100km移動するには、時速100kmで1時間は走らなければなりませんから。

線の旅をする人たちは、その道がどうだったとか、ああだったとかの話題がメインになります。
あの道は、砂が深かったよねえ。コルゲーション(洗濯板のような砂の跡、車やバイクへの振動がすごい)ひどかったよねえ。
川が深かったけどギリギリ渡れたよとか、、、、、

点の旅をする人は、その町や景色がどうだったとか食べ物の話題がメインになります。おもしろいですよね。
これ、人生によく似てないですか?
やはりわたしは、時間があれば線の旅を選びたいです。

結果主義と過程主義

自分は、過程主義で生きてきましたしこれからもたぶんこのまま行くんじゃないかと思います。
結果はどうであれ、その道中が肝心だと。
もちろんそれに結果が付いてきたら尚いいのですが、

いい過程がいい結果をもたらすと信じてここまでやってきました。
まあ、それも一つの考えや幻想でしかないのは後々知りましたけどね(笑)、
人間万事塞翁が馬ですね。


話は初めに戻ります。

わたしは、23年前のあの日のチャリダーの気持ちが判りませんでした。

笑い飛ばしてしまった「自分、坂が好きなんです。」という言葉。


そんなわたしが今は、自転車に乗っています。

エンジンも付いていないくせにやたら高い自転車にです。
バイクは売ってしまいました。

まさか自分が自転車にハマるとは思っても見ませんでした。
自分がチャリダーになるとは、、、、


わたしが、ヒルクライムにアタックすると、ものの5分で、
「なぜ、こんな趣味を始めてしまったのか?」

といつも後悔が始まります。
「こんなはずじゃなかった~~~」って予想よりも辛い苦しみが襲ってきます。
弱い心をえぐり始めます。

ほぼ100%の確率でです(笑)。


ではなぜ、山に登るのか?何十万もかけた自慢の自転車に乗って、重力に逆らって、
気持ちがいいとは180度違う方向へ、ペダルをこぐのか?

「自分、坂が好きなんです。」

これは、23年前に出会ったチャリダー(オーストラリア一周中)の言葉です。
わたしは、今でも彼の気持ちが正直まだ判りません。

じゃあ、なぜ、今、自転車に乗って、心臓が口から飛び出しそうになるまで、嫌いな苦しい苦行をしているのか?

自転車は、自分と向き合わずには速く走れません。
常に自分との戦いであり、協調でもあります。

自分のエンジン(心臓)をとにかく回し燃焼しないと前へは進めません。

どんなにお金をかけてもバイクの様にアクセルをひねるだけで何十馬力や何百馬力ものとんでもないパワーが出るわけではありませんwwww。
今の自分にしか出せないスピードしか出ません。
分かりやすいんですよね。

はっきり言って、

「自分は、坂は嫌いです。」

つらいし、苦しいし、その上遅いし、

苦行なのに、、、、レースで勝てるとかのレベルでもないのに、、、、ご褒美が出る訳でもありません。
それどころかダイエットの手段にしかなってないんじゃないか?

でも、今のところ努力することをやめたいとは思わないのですよね。


今は自転車がいいんです。
今の自分にちょうどいいんですよね。
一緒に走ってくれる仲間もいる。

バイクの様なパワーとスピードが欲しいわけじゃない。
マラソンほどの苦しさが欲しいわけじゃない。(やってる人は気持ちいいっていうんだけど!?)

移動距離も、50km~200kmと結構遠くまで走って行ける。もうバイクの1/3くらいは走れますね。
そして、風の音しかしないのが最高だし。

自分の力でスピード上げて、風に乗った時なんて、一瞬羽が生えたかのような錯覚が起きます。

いつも昨日よりもう少し、速くなりたいって思う。それがどんなに低レベルな速度でも。
貧脚だけど、その上メタボだけど、自転車がたぶん好きなんですよね。
でも、正直ガッツリと、のめり込むほど乗れてはいないですけど(笑)。

ただ、

いつか、あの日のチャリダー達の本当の気持ちがわかる日が来るのかなあと思って続けています。
あの時は笑い飛ばしてしまったけど、今ならまた別の話が出来たかもしれません。


今の自分は「坂は速くなりたいけど、坂は好きじゃない。」というレベルです。

今の自分にしか出せないスピードしか出ない乗り物。
この速度でしか見えない景色が今の自分には必要なのかもしれません。
このドMのレクリエーションでしか見えない景色が、、、、wwwww

基本、趣味は自己満足の世界ですからね。理由は後からしかついてこないです。
やりたいことやったもん勝ちでしょうか。


追記、

元ヤン借金返済女性チャリダーさんは、日本で一度会いに来てくれました。
そして、「わたしは、尼さんになります」と言ってそのままどこかの尼寺へ行ってしまいました。それきりです。
わたしが、その行動にそれほど驚くこともなかったのは、わたしのどこかでちょっとそんな気がしていたのでしょうか。
「やっぱり、そこまで行くんですね」と、、、、
どこかで、瞑想にふけっている彼女を想像すると、すっと腑に落ちるんですよね。
しかし、面白い人だ。
彼女のことを思い出すたびに、もっと自分に正直に、信念をもって、生きなければと思います。



こんな本も読んでみました。



本格自転車山岳レース小説、待望の文庫化!

「なぜ坂に登るのか?」 
世はまさに空前のロードバイク・ブーム。そして中でもヒルクライムレースは、山国という日本の国土の特異性もあり、多くのファンを惹きつけてやまない。されど……。
自転車で山に登る……容赦のない疲労困憊……いったい何が楽しいのか?なぜ重力の法則に逆らい、何の報酬もない苦行に耐えなけれなならないのか。しかし、死ぬほど苦しくても、彼らはペダルを漕ぐのを止めない。長い坂を登りつめた果てに何があるというのか? 
ヒルクライムの面白さに取り憑かれた作家が自らの体験を元に、愛すべき“坂バカ”たちのドラマを鮮烈に描き尽くした、日本初の本格ヒルクライムレース小説。本書はスポーツ冒険娯楽小説であると同時に、坂バカたちそれぞれの人生の疲れと痛みが、歓喜に満ちた癒しに変わっていく過程を描いた、魂と肉体の再生の物語でもある。
「なぜ坂に登るのか?」 
それはロード乗りが必ず一度は取りつかれる問いだ。読んでから登るか、登ってから読むか? 答えは挑んだもののみに与えられる。
妻も娘も顧みず、四十歳で出会ったヒルクライムに全てを賭ける男。マラソンを捨て目標を失い、大学も中退した青年。そして二人を取り巻く坂馬鹿たち。彼らは坂の頂点を目指しひたすら登り続ける。「なぜ坂に登るのか?」それはロード乗りが必ず一度は直面する問いだ。なぜ重力の法則に逆らい、息も止まるほどの苦しさに耐えなければならないのか。長い坂を登りつめた果てに、待つものは何なのか。自転車で山に登る面白さに取り憑かれた作家が、自らの体験を元に描き尽くした日本初の本格ヒルクライム小説。坂に魅せられた者たちの、魂と肉体の再生の物語。

超おススメです。


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Author:tada no Chicken
昭和40年代生まれのおとめ座。ヘタレでメタボの万年初心者自己満オヤジのちょっと痛い自転車奮闘記。趣味の自転車やアウトドアのことやその道具のこと、新しいことから懐かしいこと、少し痛い話題をつぶやいています。くだらない話や失敗談が皆さんの話のネタや時間つぶしになるといいと思ってます。

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